大阪地方裁判所 昭和24年(ワ)2078号 判決
原告 荒木省吾
被告 井岡寅茂 外一名
一、主 文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
二、事 実
原告訴訟代理人は、被告中村福一は大阪市北区信保町二丁目二十一番地の一宅地五十二坪七合七勺につき昭和二十三年四月八日受付第九七五号を以てした同年三月二十九日賣買に因る所有権取得登記の被告井岡寅茂は右土地につき昭和二十四年六月十四日受付第三三九一号を以てした同年六月十六日賣買に因る所有権取得登記の各抹消登記手続を爲すことを命ずる被告井岡寅茂は原告に対し前項の土地を引渡すことを命ずる訴訟費用は被告等の負担とするとの判決並に土地明渡部分につき仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、請求の趣旨記載の土地は元來訴外八幡タキの所有で原告は昭和二十二年一月医院及住宅建築の目的を以て八幡タキから右土地を賃料一ケ月金二百六十円の定で賃借し建築の準備を進めて居つた然るに八幡タキはその後予て知合の不動産賣買周旋業渡辺傳三郎から右土地を賣却するよう勧誘を受けたが既に原告に賃貸してある爲賣買を拒絶したところ重ねて渡辺から代金は少々低くなるが原告の賃借権を引続き承認する條件で買主があるから賣却せられたいと勧誘を受け偶々当時タキは財産税納付の爲金員を調達する必要があつたので右渡辺の勧誘に應じ右申出の條件で該土地の賣却を同人に依頼した。そして八幡タキは昭和二十三年二月渡辺の周旋によつて原告の賃借権を承継する特約の下に右土地を代金二万円で被告中村に賣却し同被告は請求の趣旨記載の通り所有権取得の登記を爲したところその後右土地は土地区劃整理の爲換地の指定を受けたので原告は昭和二十四年一月頃その換地上に家屋を新築する爲大阪市に土地区劃整理予定道路境界線の明示を受くべく被告中村の同意を求めた。然るに同被告は意外にも原告の賃借権を否認し原告の要求に應じないので原告は大いに驚き大阪簡易裁判所に賃借権確認の調停申立をしたところ、右被告は調停中昭和二十四年五月突然右土地を被告井岡に轉賣し同被告は昭和二十四年六月十四日受付第三三九一号を以て其の所有権取得の登記を経由したものである。併しながら土地所有者たる八幡タキは前述の通り訴外渡辺傳三郎に対し買主たる被告中村が原告の賃借権を承継することを條件として賣買の周旋を委託したものであるに拘らず渡辺傳三郎は賣主八幡タキの意思を正当に買主に傳達せず原告に対する賃貸借の事実を秘して賣買の周旋をしたもので即ち賣主とその傳達機関たる周旋人の表示との間に不一致を生じたもので、かゝる場合賣主の意思表示は当然無効である。從つて被告中村は右土地につき所有権を取得する理由なく無権利者たる被告中村から所有権を讓受けた被告井岡も亦適法に所有権を取得するものではない。仍て原告は賃借権者として訴外八幡タキに代位し被告等に対し夫々右所有権取得登記の抹消登記手続を求めると同時に現に右土地の占有者たる被告井岡に対し右土地の引渡を求める爲本訴請求に及んだと陳述し、被告等の抗弁に対し訴外渡辺傳三郎は單に賣主八幡タキと買主被告中村との間の周旋人であつて八幡タキの買主でもなければ又その代理人でもない。そして周旋人は賣買当事者の意思を双方に正当に傳達すべき機関であつて賣主の意思と周旋人の傳達した意思表示との間に不一致のあるときは意思表示はその効力を生じない。元來本件土地に原告の賃借権の存在するや否やは経験ある周旋人として先ず調査すべき点で本件土地は都市計画の爲換地に予定されているから大阪市役所に就て調査すれば原告が賃借人として登録されていることは直ちに知り得べく、被告中村が八幡タキから本件土地を代金二万円で買受け之を土地につき何等の負担なきものとして代金十二万円で被告井岡に賣却している事実に徴すれば八幡タキと被告井岡との間には原告の賃借権を承継すべき合意のあつたことは明瞭であると述べた。<立証省略>
被告中村訴訟代理人は原告の請求を棄却するとの判決を求め、その答弁として原告主張事実中原告主張の土地が元訴外八幡タキの所有であつて同人と訴外渡辺傳三郎とが予て知合であつたこと、右土地が土地区劃整理の爲換地の予定あつたこと、並被告中村が右土地を買受け原告主張の通り所有権取得登記を経由したところ原告から賃借権確認の調停申立あり被告が該土地を相被告井岡に轉賣したことはいずれも之を認めるがその他の事実は之を否認する。訴外八幡タキは財産税納付の資金調達の爲不動産周旋業者たる渡辺傳三郎に対し本件土地の賣却を懇請し渡辺は自ら之を代金二万円にて買受け更に被告中村に対し代金三万円にて賣却しその中間登記を省略して訴外八幡タキから直接被告中村に所有権移轉登記を経由したもので被告中村はタキの直接の買主でなく同被告は原告の賃借権について曾て聞知したことはない。そして原告と八幡タキとは親戚の間柄であつて原告主張の賃借権は訴外渡辺傳三郎が本件土地を買受けた後当事者の通謀に因る虚僞の意思表示であつて仮にそうでないとしても第三者たる被告中村に対抗し得べきものでないから本訴請求は失当であると述べた。<立証省略>
被告井岡訴訟代理人は原告の請求を棄却するとの判決を求め、その答弁として原告主張の土地が元訴外八幡タキの所有であつたこと該土地区劃整理の爲換地処分の予定を受けたこと、原告が賃借権者として土地区劃整理予定道路境界線の明示申請の爲被告中村に同意を求め同被告が之を拒否したこと、原告がその主張の通り被告中村に対し土地賃借権確認の調停を申立てたこと及被告井岡が相被告中村から右土地を買受け原告主張のように所有権取得登記手続を経由したことはいずれも之を認めるがその他の原告主張事実は之を爭う。訴外渡辺傳三郎は八幡タキの亡夫の友人でタキは厚く同人を信任し本件土地の賣買の交渉から現金の授受に至るまで一切を委任していたものでその関係は單なる周旋業者たるに止まらず渡辺はタキの代理人として被告中村に本件土地を賣却したものであるから、仮に原告主張の通り渡辺が被告中村に対し正当に賣主八幡タキの意思を通じなかつたとしてもその意思表示の効果は代理人の代理行爲に因つて決すべきものであつて本人たるタキの意思によつて影響を蒙むるべきものではない。そして被告井岡は原告が前記調停の申立以前たる昭和二十四年二月十二日訴外清水新治を介し相被告中村から何等賃借権若くは地上権の負担のないものとして代金十四万七千円で買受けた善意の取得者であるから本訴請求に應すべき義務はないと述べた。<立証省略>
三、理 由
按ずるに原告の本訴請求の要旨は訴外八幡タキはその所有に係る原告主張の土地を原告に賃貸していたところ昭和二十三年二月訴外渡辺傳三郎の周旋によつて被告中村に賣却し同被告は更に之を被告井岡に賣却したもので、右八幡タキと被告中村間の賣買は賣主の意思と表示との不一致によつて無効であるから被告中村は右土地につき所有権を取得するに由なく、從つてその承継人たる被告井岡と被告中村間の賣買契約も亦無効であるから、原告は所有者八幡タキに対する賃借権者として同人に代位し被告等が爲した原告主張の各所有権移轉登記の抹消登記手続を求め且被告井岡に対し土地の引渡を求めると云うに在つて、民法第四百二十二條に基くことその主張自体に徴し明である。思うに我民法第四百二十二條はフランス民法第千百六十六條に淵源し、その立法の趣旨とするところは債権者がその共同担保たる債務者の財産を保存し又は増加する目的を以て債務者の権利を行使することを許すにあつて、共同担保の保全増加と云うことと無関係に特定の債権者の固有の権利実現の爲に代位権の行使を許すべきか否かについては疑を免れない。或は賃借権者の賃借権実現の爲に賃貸人の賃借物占有者に対する請求権の代位行使を許容せんとする説がないでもないが、かゝる見解は賃借権者に対し債権たるより以上の権利保護を與えんとするもので、明に債権の性質及民法が代位権の行使を許したる目的を超越するものでにわかに之に賛同し難い。仮に之を容認するとしても土地所有者が土地を賣買した場合に賣買契約の効力を爭うことは所有者の財産管理の権能であつて債権者取消権(廃罷訴権)の行使を許される場合等の外は所有者の意思に一任するを当然とし猥りに債権者の干渉を許さない。蓋し賣主は賣買契約の無効を主張すると同時に代金の返還義務を負担するもので之は必ずしも常に賣主の欲するところとは云い難く、賣主が自ら賣買契約の無効を主張する意思なきに拘らず債権者が所有者の意思に反して訴訟上賣買契約の無効を主張し得ると爲すは、明に私法自治の原則に違背するものと云わねばならぬのみならず、かゝる訴を許すときは本人の意思に基ずかず第三者(代理人)による訴訟を許容するもので訴訟法の原則にも背くものである。故に賣主たる本人が既に賣買契約の無効につき確定判決を得て單に所有権移轉登記の抹消登記手続の請求権を行使しない場合(本件はこの場合ではない)に債権者が共同担保の保全の爲登記上の所有者に対し抹消登記請求権を代位行使することは固より差支ないが、債権者が自己の名に於て賣買契約の無効自体を主張せんとするのは到底之を是認するを得ない。
更に原告は土地所有者たる八幡タキは周旋人渡辺傳三郎に対し買主たる被告中村が原告の賃借権を承継することを條件として賣買契約の締結を依頼したに拘らず、渡辺傳三郎は右賣主の意思を正当に傳達しなかつた爲賣主の意思と表示との間に不一致を生じ賣買契約は無効であると主張するけれども、証人八幡タキの証言によるも訴外八幡タキが本件土地を賣却するについて原告の賃借権を承継することを契約の内容としたことは之を肯認し難く他に右の事実を認めるに足る確証はない。却つて右証人八幡タキ及証人渡辺傳三郎の各証言を綜合すれば八幡タキは当時財産税納付の資金を調達する必要上予て熟知の不動産賣買周旋業者たる訴外渡辺傳三郎に対し最低限度金二万円の代金を取得することを條件として本件不動産の賣却を依頼したが渡辺傳三郎は右土地が区劃整理の換地予定地に指定せられ未だ換地決定には至らず有利に賣却することのできない事情にあつた爲、取敢えず自己の出損によつて八幡に対し代金二万円を交付しその後被告中村に対し代金三万円で右土地を賣却し八幡から直接被告中村に所有権移轉登記手続を経由したもので八幡タキは右土地の買主が何人なるかを知らず固より原告の賃借権を承継するよう希望はしたけれども必ずしも之を賣買の條件乃至契約の内容としたものでないことを看取するに足りるから、賣主八幡タキの意思と表示との間に不一致があつたことを前提とする原告の主張は之を採用し得ない。
然らば原告の本訴請求は以上いずれの点に於いても之を認容し難いものと認め之を棄却すべきものとして、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九條を適用し主文の通り判決する。
(裁判官 藤城虎雄)